¡エンリケのラテンアメリカ補習校! Vol.36

こんにちは、エンリケです。 皆様、ご機嫌麗しゅう。

早速ですが、今回は年末年始に訪れたカリブ海に浮かぶ島、オランダ領キュラソーのお話(言語と歴史)をご紹介しましょう。

公用語のひとつはオランダ語ですが、英語、パピアメント語(主言語)も公用語です。パピアメント語はポルトガル語、スペイン語の影響を強く受けている言語で、私のスペイン語力でも70~80%ぐらい理解できました。※スペイン語やポルトガル語も通じますが・・・。

そう、つまりキュラソーは、人々が4~5ヶ国語ぐらい話す超多言語社会なのです。日本と同じ島国とは思えませんね!!!(泣

 

※キュラソー多言語社会誕生の歴史をザクッと解説

スペイン語との出会い:もとは先住民が暮す島でしたが、1499年にスペイン人によって島は発見され、スペインの植民政策に取り込まれる。先住民はエスパ

ニョーラ島(現ハイチ、ドミニカ共和国)へ奴隷として連れて行かれほぼ全滅。

オランダ語との出会い:100年ほどスペインによる支配が続いたが、1621年に木材と塩を求めてオランダ人が入植を開始、オランダによる支配へと移行。

ポルトガル語との出会い:17世紀半ばポルトガルを出発したユダヤ人一行(オランダ、ブラジル経由)が入植。大規模農業や塩事業の拡大のため、オランダ領ブラジル(現ブラジル北部)から大量のアフリカ系黒人奴隷が連れて来られる。以後、島は農産品輸出の拠点となり奴隷貿易の拠点としても発展。(19世紀半ばに奴隷制廃止)

パピアメント語の誕生:オランダ領ブラジルから島へと連れて来られたアフリカ系黒人奴隷の間でポルトガル語、スペイン語、オランダ語の混成言語として誕生し島全体に普及。

英語の普及:1918年にアメリカ資本の石油精製所が誕生。1940年にはイギリスが島の支配に成功(当時オランダはナチスに苦戦中)。再びオランダの統治下に戻ると、アメリカ人観光客を迎えるリゾート地として発展。

→→→キュラソーの多言語社会の誕生は、大国による世界の覇権争いに翻弄され続けた歴史の副産物なのです。カリブ海に浮かぶ小さな穏やかな島ですが、世界の歴史を投影する類を見ない場所と言えるでしょう。それでは、また来月。☆Hasta Pronto☆

(※エンリケさんは秀優ゼミ卒業生。現在メキシコで電力事業に携わっている。毎月コラムでメキシコをはじめカリブ海諸国や中南米の文化や日常をお届けしています。)

 

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